龍谷大学交響楽団 サマーコンサート2017

第1回 曲解説 2017年2月開催


プレゼンター:佐藤佑哉(第25代正学生指揮者)

◎モーツァルト/交響曲第31番

 パリ1

 


 1、なぜ「パリ?」

 パリ2

 それでは次に、モーツァルト作曲、交響曲第31番について解説していきます。 既に皆さんご存じだとは思いますが、この曲名には「パリ」が付きます。なんでパリなの?と疑問を持った人もいるかと思いますので、まずはこの疑問をスカッとさせておきましょう。

 理由は非常に簡単、パリで曲を書いたからです。この曲はパリにある「コンセール・スピリチュエル」という18世紀フランスの演奏団体の支配人からの依頼で作曲された作品です。あとで説明しますが、当時のモーツァルトは自分の思い付きで作曲することはもちろん、加えて依頼を受けて作曲(今でいう委嘱作品)をするというビジネス的なこともしていました。この31番もその一つです。 曲を書いたのは1778年、当時のパリは初夏でした。この環境でモーツァルトは実に3年半ぶりに交響曲に手を染めました。6月にパリで行われた初演は大成功、パリの人たちにウケる作品でした。

 パリ3

 ちなみに「パリ」以外にも、モーツァルトのシンフォニーには都市名がつく作品があと2つあります。36番「リンツ」と38番「プラハ」です。覚えておきましょう。

 リンツはオーストリアの都市で、ウィーン、グラーツに続く第3の都市といわれています。この曲は、モーツァルトがリンツ滞在中に、伯爵の予約演奏会のため、たった4日間で完成させた曲です。

プラハは『フィガロの結婚』の上演が大成功を収めたことにより、モーツァルトがプラハから招待を受けたとき、プラハで自ら『フィガロの結婚』を指揮したのですが、それに先立って初演されたのが38番です。


 2、「交響曲第31番」の特徴

 パリ4

  次にこの曲の特徴を2つ紹介します。

 まずは何といっても曲のイメージ。とても明るく、ワクワクするようなこの曲は、パリの聴衆たちの好みにあわせて書かれました。フランス趣向があふれるサービス精神豊富な曲です。 モーツァルトはこの当時、世界各地を旅行していたのですが、パリに来る前、ドイツのマンハイムに立ち寄っていました。そこで、マンハイム学派という18世紀ドイツにマンハイムに宮廷を置き、そこの宮廷楽団を中心に活躍した作曲家達と出会い、彼らに影響を受けました。当時のモーツァルトは書いてきた作品たちを見てもわかるように、どちらかというと小編成な作品が多いですが、このマンハイム学派で今日私たちが演奏しているようなダイナミックな編成に影響をうけます。

 そこでモーツァルトが試みたのが、クラリネットを編成に組み入れることです。クラリネットは当時新しい楽器だったのですが、クラリネットを取り入れることで、曲調に彩りが増すということをマンハイム学派で学び、この31番ではじめてクラリネットを取り入れたのです。

 パリ5

 

 また先ほども言ったように、この曲はモーツァルトの交響曲では珍しく大編成で書かれています。クラリネットが加わるだけでなく、全ての管楽器が2管(完全2管編成)で書かれています。完全2管編成も当時では珍しく、かなり贅沢な編成と言われていました。31番の前に書かれた29番と比較すれば、編成の大きさは一目瞭然だと思います。 モーツァルトのシンフォニーでこのような大きな編成で書かれたのは31番「パリ」と35番「ハフナー」くらいです。


 3、実は不幸だったパリ旅行

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  ここまでの説明をきいていると、モーツァルトのパリ旅行は充実していたように思えますが、実際はそうではありませんでした。良かったことは31番を作曲し初演が大成功したことくらい。このパリ旅行中、モーツァルトには何度も不幸が訪れていたのです。

 まず、母の死。パリの初演は6月18日のコンセール・スピリチュエル演奏会。この初演の大成功の後すぐ、7月3日にモーツァルトに同行していた母(スライドの上の女性)がパリでこの世を去ります。モーツァルトの22歳のときでした。

 また、パリの前に訪れていたマンハイムで想いを寄せていた、アロイジア(スライドの下の女性)という女性と失恋をします。 実はこの失恋、ただの失恋ではありません。1782年、モーツァルトはコンスタンツェという女性と結婚しますが、彼女は失恋したアロイジアの妹です…。

 経済的にモーツァルトは苦しい状況にあり、滞在中にパリで働いていたようですが決して稼ぎも良いものではなかったらしく、パリではとても苦しい出来事が続いていたそうです。


 4、モーツァルトについて

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  それでは今回の最後に、モーツァルトについて軽く紹介しておきます。

 オーストラリアのザルツブルクで1756年に生まれたモーツァルトは、7人姉弟の末っ子です。5歳で最初の作曲を行うという記録が示すように、幼いころから音楽の教育を受けてきました。11歳のときの作曲譜がみつかったともいわれています。

 代表作は数知れませんが、ピアノ曲をはじめ管弦楽曲、オペラ作品など幅広いジャンルで成功をおさめた作曲家です。

 1791年、たった35歳の若さでウィーンでこの世を去りますが、ハイドン、ベートーヴェンと並ぶ、ウィーン古典派三大巨匠として伝えられています。

 パリ8

 モーツァルトの作風としては、作品の多くが長調で書かれています。モーツァルトが書いた交響曲のうち、短調で書かれているのは、41番まである中で25番と40番だけです。 長調である故か、装飾音が多く、軽快で優美な曲が多いです。

 最期まで長調の作品が多いのですが、晩年になってくると、長調の作品なんだけど、どこか哀しみが表れるような曲が多くなってきます。「天国的」とも形容されています。

 また、31番もそうなのですが、作品の多くは生計を立てるために、注文を受けて書かれた作品が多いです。

 次回以降、詳しくモーツァルトの生涯をたどっていこうと思います。