龍谷大学交響楽団 サマーコンサート2017

第2回 曲解説 2017年3月開催


プレゼンター:佐藤佑哉(第25代正学生指揮者) 

◎ロッシーニ/歌劇「セビリアの理髪師」

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 それでは早速、ロッシーニ「セビリアの理髪師」第2回目の解説会をはじめていきます。

スライド3 今日行う第2回目は、最初に前回のおさらいを行い、そこからロッシーニの生涯をたどっていきます。今日行う第2回は全曲作曲者の生涯をお伝えすることがメインになります。

そして最後に軽く、「序曲」とは何なのかについて触れておきたいと思います。

 

※実際の解説会では前回のおさらいを行っていますが、このサイトでは省略させていただきます。


1.ロッシーニの略歴(前半)

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 それでは、ロッシーニの生涯を順にたどっていきます。まずこれはおさらいになりますが、ロッシーニはイタリア・ペーザロという町に生まれました。右のイタリアの地図のオレンジ色の丸のところがペーザロです。アドリア海に面している観光都市で、ロッシーニの名がついた建物やオペラフェスティバルが開催されていると紹介しましたね。

 それから若くして、ロッシーニは早くも弦楽ソナタを6曲も書き上げ、早熟の才能を示しました。そして、1810年に最初のオペラ作品となる「結婚手形」を発表しました。これが、オペラ作曲家・ロッシーニの第一歩となる作品です。

 1812年と翌13年に発表された「試金石」と「アルジェのイタリア女」が、彼のオペラブッファとしての出世作となります。

「オペラブッファ」というのは、喜劇のオペラのことです。「セビリアの理髪師」もオペラブッファを代表する作品の一つです。「ブッファ」とは、滑稽な・面白いという意味で、オペラはもともと貴族向けに書かれたものだったのですが、庶民の人たちが楽しめるように書かれたオペラのジャンルの一つです。

話は戻りますが、ちなみに「試金石」は、発表後に成功したことにより、兵役を免除されたというエピソードもあります。

 その後、1815年にロッシーニは、ナポリの王立劇場の音楽監督に就任しました。ここでは1822年まで活動していました。サン・カルロ劇場をはじめとした、ナポリ王国全ての王立オペラ劇場の劇場付作曲家・兼音楽監督を務めたのです。ちなみにスライド右下の写真がサン・カルロ劇場です。オペラをよく見る人にとってはおなじみの劇場だと思いますが、イタリア三大歌劇場の一つです。ちなみにあとの二つは、ローマ・オペラ座と、前回DVDを見たミラノ・スカラ座です。この音楽監督の期間中に、ロッシーニはオペラを新たに9作品書き上げています。

 ナポリでの音楽監督としての活動を終えたロッシーニは、イタリアからパリに定住し、それからはフランス語のオペラの制作に専念しました。そして、有名な「ウィリアム・テル」を最後に、37歳でオペラ制作活動を終えたのです。


2.イタリア劇場での上演回数

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 さて、ロッシーニはパリに定住したと先ほど紹介しましたが、当時のパリの歌劇場は「オペラ座(王立音楽アカデミー劇場)」と「イタリア座」が二大劇場として君臨していました。

この二つの劇場は、法律によって、上演するオペラがその国の言語のみに規制されていたのです。つまり、オペラ座ではフランス語オペラのみ、イタリア座ではイタリア語オペラのみしか上演されなかったのです。

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 そのイタリア座では、1819年~30年の間、約1,550ものオペラ公演が行われていました。その全体の6割以上、988もの公演がロッシーニの作品でした。さらに、その中で最も上演されていた作品が「セビリアの理髪師」です。数で表せば156公演です。つまり、イタリアだけでなく、フランスでもロッシーニ作品、中でも「セビリアの理髪師」が大変人気の作品であったということが分かってもらえると思います。

ちなみに、ロッシーニ作品で上演回数の多い作品を紹介してみると、上から順に「セビリアの理髪師」156回、「オセロ」128回、「泥棒かささぎ」126回、「ラ・チェネレントラ」103回、「タンクレーディ」95回、「セミラーミデ」73回です。モーツァルトのオペラ作品で最多のイタリア語オペラは「ドン・ジョヴァンニ」の66回。


 3.ロッシーニの略歴(後半)

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 さて、晩年のロッシーニの略歴をみていきましょう。イタリア、フランスで音楽活動をしてきたロッシーニは、1836年に音楽活動を終え、隠居生活に入ります。それから9年後、妻が亡くなりますが、翌年すぐに美術モデルの女性と再婚しています。

1855年、健康が回復したロッシーニは再びフランス・パリへ向かいます。そこでは、音楽活動ではなく、サロンや高級レストランを経営したのです。かねてからロッシーニは、かなりの料理家として有名でした。特に、スライドの画像のような、フォアグラとトリュフを贅沢に組み合わせた料理は「ロッシーニ風」として今でも呼ばれていますね。

 そして、1868年にフランス・パリ近郊のパシイにて亡くなりました。現在は、イタリアのサンタ・クローチェ教会に眠っています。この教会は、イタリアのフィレンツェにあり、ガリレオやミケランジェロも眠っていることでも知られる有名な教会です。


 4.「序曲」とは何なのか

 さて、ここまでロッシーニの生涯を紹介してきましたが、今回最後に軽く「序曲」というものについて紹介しておきたいと思います。言うまでもないですが、今回私たちが演奏する「セビリアの理髪師」序曲は、オペラの最初に演奏される楽曲です。オペラの中において、序曲がどういう役割を果たすものなのか、解説しておきたいと思います。


5.序曲と前奏曲の違い

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 ところで「序曲」と似た言葉に「前奏曲」がありますね。前奏曲は「椿姫」や「カルメン」などに用いられていますが、同じくオペラの最初に演奏される楽曲です。では序曲と前奏曲って何が違うのでしょう。

明確な違いというのは1点だけあります。前奏曲はその曲の終わりが第1幕へと繋がっていきます。「椿姫」の第1幕前奏曲が一番イメージしやすいと思います。曲の序盤は、主人公・ヴィオレッタの病気を表す静かなメロディや和音が主となり、後半では舞台となるパリをイメージした哀愁のあるメロディが流れ、最後に静かに終わり、第1幕の宴の場面へと移っていきます。

<参照> https://youtu.be/hg-C6ggdWCk

対して序曲は、オペラに結びつくものもありますが、それだけで独立した曲です。ふつうのオーケストラ演奏会で前奏曲より序曲が多く演奏されている理由はここにあります。

根本的な定義は共通です。オペラの冒頭におかれる、声楽のない楽曲のことです。なぜオペラに声楽のない楽曲をわざわざ最初に演奏させる必要があるのかというと、観客を舞台に注目させることが目的です。つまり、序曲・前奏曲の間、観客は幕が上がった時の舞台風景を期待しながらカーテンをじっと見ているのです。しかし近年の演出では、序曲や前奏曲の鳴っている間、舞台で映像を映すなど、視覚的な演出を施すことが多くなっています。

さて、そういった定義のもと、序曲や前奏曲は存在しているのですが、前奏曲に比べて、序曲はあまり重要ではないと考える作曲家がいたのも事実です。名を挙げれば、ロッシーニやプッチーニといったところでしょう。

ロッシーニは、最後に解説しますが、序曲を複数のオペラで使いまわす人でした。また、プッチーニは序曲や前奏曲をそもそも作曲しない人です。彼のオペラは、ほとんど断片的な音楽だけを響かせて幕が上がっています。

それに比べて、序曲や前奏曲を大切にする作曲家もいます(むしろ皆がそうであってほしかったのだが…)。ヴェルディやワーグナーが有名でしょう。ワーグナーだったら「ニュルンベルクのマイスタージンガー」や「タンホイザー」、ヴェルディだったら「運命の力」「アイーダ」など、オペラそのものはもちろん、序曲や前奏曲だけでも傑作を残しています。今日の演奏会で演奏されている序曲は、オペラそのものはもちろん、序曲や前奏曲にもこだわっていた作曲家たちの作品なのです。


 6.「セビリアの理髪師」序曲は使いまわし

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 さて、先ほど紹介したように、ロッシーニは序曲に対してあまり重要視していなかったのです。そして「セビリアの理髪師」序曲は、本来このオペラのために書かれた曲ではないということを知っておかなければなりません。

このオペラは、わずか2週間ほどで書かれた作品ですが、この作品が発表されたとき、序曲はまだ書かれていなかったのです。そしてロッシーニは、新たにここから序曲を書き始めるかと思いきや、すでに作曲されていた別のオペラの序曲を引っ張ってきたのです。つまり、現在私たちが「セビリアの理髪師」序曲と言っているこの曲は、すでに書かれていた別のオペラ序曲なのです。

 順にみていくと、まず1813年「パルミーラのアウレリアーノ」の序曲を発表しました。これが根本的なところにあり、いわゆる本家です。その2年後に発表した「イングランドの女王エリザベッタ」では新たに序曲を書かず、ロッシーニはアウレリアーノの序曲を引っ張ってきたのです。そしてさらに翌年「セビリアの理髪師」でもこの曲を使いまわしました。つまり、この序曲は異なる3つのオペラの序曲となっているのです。それだけロッシーニは、序曲に対してあまり重要視していなかったのです。

証拠ではありませんが、「パルミーラのアウレリアーノ」序曲を聴いてみましょう。どうです?同じでしょ? https://youtu.be/TaPIFxZwNUw